館林市 S・Yさん
私は,飲食店の雇われ店長をしていたところ,その店の常連客だった方から「今よりも給料を出すから店をやらないか」と持ち掛けられました。私としても自由に店を切り盛りしたいという気持ちがあり,妻の反対を押し切ってその話に乗ることにしました。
しかし,店舗として借りる予定の物件には複数人の連帯保証人が必要でした。私は連帯保証人になるつもりはなかったのですが,オーナーに懇願されたこと,また,店舗を借りられなければ店のオープンもできないことから,やむなく店舗の賃貸借の連帯保証人になりました。
店はオープンにこぎつけたものの,開店後間もなく,店のオーナーが資金繰りに失敗し,給与の支払が段々と滞るようになっていきました。ですが,私は店舗の賃貸借の連帯保証人になっていたので,店を辞めるに辞められず,貯金を切り崩しながら生活せざるを得ませんでした。結局,オーナーが家賃を滞納したため,店は閉店せざるを得なくなり,滞納家賃は連帯保証人たちで分割で支払いをすることとなりました。
ちょうど店が閉店に追い込まれたころ,妻から子供が欲しいと言われました。妻は私より年上で,妊娠出産するにはぎりぎりの年齢でした。不妊治療は保険がきかないものも多く,結構な出費がありました。このころには我が家の貯金はほとんど底をついていましたが,もともと妻の反対を押し切って始めた店で失敗し貯金を切り崩していたことから,貯金がないことを妻には言い出せませんでした。当初は自分の給与で何とかやりくりしていたものの,次第に給与だけでは足りなくなってしまい,借り入れが増えていきました。
その後,義母が亡くなりました。義母は義父とのふたり暮らしだったところ,持病がある義父をひとりにしておくのも心配だったので,私たちは義父と同居することにし,妻の実家がある館林市に引っ越しました。
私は,転居後まもなく,飲食店に勤め始めました。このころから新型コロナウイルスが急激に蔓延したため,勤務のシフトが大幅に減らされました。私は,アルバイトを掛け持ちしてなんとか返済資金を捻出していましたが,気が付けば毎月の返済が10万円近くにもなってしまいました。
自分で負った借金ですのでどうにかして返済したかったのですが,このままでは生活が立ち行かなくなると思い,妻に借金があることを打ち明けました。そして,妻とも相談し,自己破産の手続をするのが一番いいだろうと思い,弁護士さんに相談をしようと思いました。
インターネットで市内の弁護士さんを探したところ,上野弁護士の存在を知り相談をお願いしました。上野弁護士は快く相談をお引き受け下さいました。
上野弁護士に私の借金の状況をお伝えすると,上野弁護士のご見解もやはり自己破産の手続が一番よいだろうとのことでした。
私は,早速,上野弁護士に自己破産の手続きをお願いしました。
裁判所での手続の結果,この度無事に免責許可決定を得ることができました。
私は、約400万円万円以上の借金を抱えていましたので,自己破産が認められ本当に助かりました。これも上野弁護士のおかげです。ありがとうございました。
(令和4年3月15日終了)